前提:優柔不断は性格よりも「立ち止まり方」の問題かもしれない
私は長い間、自分を優柔不断な人間だと捉えていた。
決めるのが遅い。選択肢を前にすると動けなくなる。
それを性格の問題として扱い、修正すべき点だと考えていた。
ただ、後から振り返ると、問題は気質そのものではなかった。
考えを止める場面が、いつも同じ形で訪れていただけだった。
当時の状況と前提
- 選択肢が並ぶと「もっと良い答え」がある気がしていた
- 一度踏み切ると、後戻りできないと思い込んでいた
- 失敗したときの影響を、実態以上に大きく見積もっていた
こうした前提のもとでは、
決めずに保留することが最も安全に見えていた。
実際に取っていた行動
当時の自分が繰り返していたのは、次のような流れだった。
- もう少し材料が揃ってから考えよう
- 今は結論を出さなくても困らない
- 誤った選択をするくらいなら、先送りにしたほうがよい
慎重に見えるが、実際には
考え続けることで動かない状態を維持していただけだった。
ズレていた認識
後になって気づいたズレはいくつかある。
-
一度決めたら終わり、という思い込み
多くの場合、途中で方向を変える余地は残っていた。 -
最適な答えがどこかにあるという期待
実際には、どれを選んでも大差が出ないことのほうが多かった。
差が生まれるのは、その後の動き方だった。 -
立ち止まっている時間の重さを軽く見ていたこと
時間も思考も、確実に消耗していた。
改善策として選び直した構え
優柔不断を「矯正しよう」としたわけではない。
代わりに、次のような構えを採用した。
- 7割程度で一度踏み切る
- 途中で考え直せる余地を最初から織り込む
- 迷っている時間も、コストとして扱う
大事だったのは、
正解を当てにいくことではなく、前に進める形を保つことだった。
今ならどう捉えるか
優柔不断は欠点とは限らない。
ただ、立ち止まり続けると、
結果的に「選ばない」という形で状況が決まっていく。
それなら、自分で一度踏み切ったほうがいい。
仮置きでも、後で修正できれば十分だ。
読み手への問い
- 今、先送りしている事柄は、本当に材料不足だろうか
- その選択は、後から軌道修正できないものだろうか
- 立ち止まっている間に、何を支払っているだろうか
性格を変えようとする前に、
どこで足が止まっているのかを一度眺めてみてもよいかもしれない。

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