『進撃の巨人』の中で、リヴァイ兵長がエレンに語りかける次の言葉がある。
自分の力を信じても…信頼に足る仲間の選択を信じても……結果は誰にもわからなかった…だから…まぁせいぜい…悔いが残らない方を自分で選べ
この言葉は、勇気を与えるためのものではない。
むしろ、選択から逃げられなくするための言葉だと感じている。
この場面では、どちらを選んでもリスクがあり、どちらが正解かは事前には分からない。経験や実力、仲間への信頼があっても、結果は保証されない。リヴァイは、その前提を一切ごまかさない。
不確実性を前提とした意思決定
印象的なのは、リヴァイ自身が「自分の力」や「仲間の判断」を絶対視していない点だ。
最善を尽くしても、結果は制御できない。これは諦めではなく、現実認識に近い。
意思決定の場面では、つい「正しそうな選択」や「失敗しなさそうな道」を探してしまう。しかし実際には、情報をどれだけ集めても、不確実性が消えることはない。判断と結果は、常に切り離されている。
結果が悪かったからといって、その判断が必ず誤りだったとは言えない。逆に、結果が良かったからといって、判断が正しかったとも限らない。この前提を持たないまま振り返ると、後講釈で自分や他人を裁くことになる。
判断の主体性を確保する
この場面でリヴァイは、命令という形でエレンを動かしていない。上官として決めてしまうこともできたはずだが、最終的な選択はエレン自身に委ねている。
これは責任放棄ではない。
仲間の判断を尊重しつつも、最終的な選択は本人が引き受けるべきだ、という姿勢だ。
組織や仕事でも同じで、「上司がそう言ったから」「皆がそう判断したから」という理由で選んだ判断は、うまくいかなかったときに歪みが残る。参考にすることと、判断を預けることは別だ。
後悔しない選択の基準
リヴァイが提示する基準は、成功確率でも合理性でもない。「悔いが残らない方を選べ」という一点だ。
ここで言う後悔は、感情論ではない。
なぜその選択をしたのかを説明できるか。結果が悪くても、他人のせいにせずに引き受けられるか。同じ状況に戻っても、同じ選択を選ぶと言えるか。
その問いに耐えられるかどうかが、判断の基準になっている。
意思決定の盲点と後悔
判断の場面では、どうしても「正解を選びたい」という意識が先に立つ。その結果、選択の主体が曖昧になる。うまくいかなかったときに、「情報が足りなかった」「想定外だった」と言い訳が増えていく。
リヴァイの言葉は、その逃げ道を最初から塞いでいる。
結果がどう転んでも、それを選んだのは自分だ、と言えるかどうかだけを残す。
実践している意思決定の問い
今は、意思決定の前に次の問いを一度置くようにしている。
この選択は、誰の判断か。
結果が悪くても、自分で引き受けられるか。
後から理由を説明できるか。
正解を探すよりも、判断の所有権を明確にする。その方が、選択の重さを正しく受け取れる。
自身の判断を問う
いま迷っている選択は、誰の判断になっているだろうか。
結果がどうなっても、「自分で選んだ」と言えるだろうか。
リヴァイ兵長の言葉は、背中を押すものではない。
判断から逃げられなくする言葉だ。
だからこそ、意思決定の場面で何度も思い出してしまう。

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